『一枚に全部載せない』は正しかった:教材制作の経験則にエビデンスがついた日

スライドの情報は、説明に合わせて少しずつ表示したほうが、学習効果が高い。東京理科大学の研究チームが2026年に発表した研究で、このことが視線計測(アイトラッキング)のデータとともに実証されました。説明の進行に同期して図やテキストを一つずつ画面に追加していく提示方法は、論文の中で「累積提示(Cumulative Presentation)」と名づけられています。最初からすべての情報が載った完成版スライドを見せる場合と比べて、テスト成績が統計的に有意に向上したのです。

私たちエレファンキューブにとって、この研究はひときわ感慨深いものでした。eラーニング教材や研修動画の制作現場では、「一枚のスライドに全部載せて一気に見せない」「ナレーションに合わせて要素を順に出す」という作り方を、いわば職人の経験則として長く続けてきたからです。その感覚に、ようやく科学の裏づけがついた。そんな気持ちで、この論文を読みました。

本記事では、論文の内容から教材制作の現場で明日から使える実践ポイントまでお伝えします。

目次

本記事は、東京理科大学の伊藤光・市川寛子両氏による原著論文(Ito & Ichikawa, 2026, Journal of Computer Assisted Learning, オープンアクセス)および科学メディア「ナゾロジー」の解説記事をもとに執筆しています。

東京理科大学の研究概要:何を、どう比べたのか?

研究に参加したのは、日本人の大学生40名です。参加者は2つのグループに無作為に分けられ、同じ内容・同じ音声の生物の授業(高校生物「個体群間の相互作用」、約20分)を、スライドの見せ方だけを変えて受講しました。

提示方法スライドの見せ方
累積提示ナレーションの進行に合わせて、図やテキストの要素を一つずつ画面に追加していく
全体提示最初からすべての要素が載った「完成版」のスライドを表示したまま説明する

授業の前後には同じ内容の理解度テスト(20点満点)を実施し、事前の知識レベルに差がないことを確認したうえで、事後テストの成績を比較しました。さらに授業中は、視線計測装置で参加者の目の動きを記録し続けました。つまりこの研究は、「成績が上がったか」だけでなく、「学習中に、目がどこを・いつ・どれだけ見ていたか」まで踏み込んで調べた点に大きな特徴があります。

結果①:テスト成績が有意に向上した

授業後のテストの平均点は、累積提示グループが17.70点、全体提示グループが16.70点(いずれも20点満点)でした。差は1点と聞くと小さく感じるかもしれませんが、統計的に意味のある差(有意差)であり、効果の大きさを表す指標(効果量)は「中程度」に相当する水準でした。授業内容も、先生の声も、かかった時間もまったく同じ。変えたのはスライドの「見せ方」だけです。それだけで成績に差がついた、という点がこの結果のポイントです。

結果②:視線は「速く・長く」正しい場所へ向かった

では、なぜ見せ方を変えるだけで成績が変わるのでしょうか。その答えのヒントが、視線計測のデータにあります。研究チームは、「いままさに先生が説明している箇所」に、学習者の目がどれだけ速く・どれだけ長くとどまったかを測定しました。

視線の指標累積提示全体提示
説明が始まってから、該当箇所に目が向くまでの時間平均1.00秒平均5.75秒
説明に関連する箇所を見ていた合計時間平均約442秒平均約326秒

累積提示のグループでは、先生が話し始めてからわずか1秒で、視線が説明箇所に到達していました。一方、完成版スライドを見ていたグループは、平均で約5.75秒かかっています。画面上にたくさんの情報があるため、「いまどこの話をしているのか」を目で探す必要があったのだと考えられます。新しい要素がふっと画面に現れると、人の目は自然とそこに引き寄せられます。累積提示は、この性質を利用して、矢印やマーカーを足さなくても視線を正しい場所へ案内できる手法だと言えます。

見逃せないポイント:「長く見た」から学べたのではない

この研究でとくに示唆に富むのが、次のデータです。画面全体を見ていた合計時間は、2つのグループでほとんど差がありませんでした(累積提示:約802秒、全体提示:約791秒)。つまり、累積提示のグループが「より熱心に画面を見ていたから」成績が上がったわけではないのです。両グループとも同じくらい画面を見ていた。違ったのは、「正しい場所を、正しいタイミングで」見られていたかどうかだけでした。

学習効果を決めるのは注意の「量」ではなく「質」である、これは教材を設計する立場にとって、非常に重要な視点です。「受講者がちゃんと画面を見てくれているか」を気にするだけでは足りず、「見るべき場所へ、迷わせずに案内できているか」まで設計する必要がある、ということを意味するからです。

もうひとつの発見:本人は「楽になった」と感じていない

興味深いことに、授業後のアンケートでは、「授業の難しさ」や「わかりやすさ」の主観的な評価に、2つのグループで統計的な差は見られませんでした。成績は確かに上がっているのに、学習者本人は「わかりやすくなった」とは自覚していないのです。

論文によれば、こうした「成績は上がるが体感は変わらない」というパターンは、視線を誘導する手法を扱った過去の研究でも繰り返し報告されてきたとのことです。ここから得られる教訓はシンプルです。教材の良し悪しを、受講者の感想だけで判断してはいけない。アンケートで「わかりやすかった」という声が集まらなくても、理解度テストで測れば効果が出ている、その逆もまた然り、ということが起こりうるのです。

【エレファンキューブの視点】感覚的に続けてきた手法に、エビデンスがついた

ここからは、本研究を読んだうえでの、教材制作会社としての私たちの所感です。

エレファンキューブは、eラーニング教材や研修動画をはじめとするデジタル教育コンテンツを、累計2,000件以上手がけてきました。その現場で、私たちがほとんど無意識に守ってきたルールがあります。「一枚のスライドに情報を全部載せて、いきなり見せない」「ナレーションが触れる瞬間に、その要素を画面に出す」、まさに、この論文が「累積提示」と名づけた手法そのものです。

正直に言えば、これまでこの作り方の根拠を問われたとき、私たちは「そのほうが視聴者が迷わないから」「経験上、そのほうが伝わるから」としか答えられませんでした。それが今回、視線計測という客観的なデータで、「説明開始から1秒で視線が到達する」「関連箇所を見る時間が1.3倍以上になる」という形で示された。長年の経験則が科学の言葉で説明された瞬間に立ち会えたようで、率直に感慨深いものがあります。

そしてもうひとつ、私たちが勇気づけられたのは、この手法に特別なソフトも機材もいらないと論文が明記している点です。PowerPointのアニメーション機能で要素を順に表示するだけで実装できる。つまり、予算の大小にかかわらず、すべての教材制作者・講師が今日から取り入れられる手法だということです。

明日からできる実践3か条

論文が示す実践的な示唆(Implications)をふまえ、教材づくり・研修スライドづくりにすぐ活かせるポイントを3つにまとめました。

① 完成版スライドを「段階表示」に分解する

すでにある完成版のスライドでも、要素ごとにアニメーションを設定して順に表示すれば、累積提示に作り替えられます。スライドを作り直す必要はありません。図解・グラフ・箇条書きなど、説明の単位ごとに区切って表示していくのが基本です。

② 表示のタイミングを「話す瞬間」に同期させる

この研究の肝は、要素が現れるタイミングとナレーションが重なっていることです。研究でも、視覚と聴覚の情報が同時に届くほうが結びつきやすい(時間的近接の原理)ことが理論的な背景として挙げられています。要素を先に全部出してから話し始めるのではなく、「その話題に触れる瞬間に、その要素を出す」を徹底しましょう。

③ 効果は「感想」ではなく「理解度テスト」で測る

前述のとおり、この手法の効果は受講者の体感には表れにくいことがわかっています。教材改善の効果検証は、受講後アンケートの満足度だけに頼らず、確認テストの成績など客観的な指標とあわせて行うことをおすすめします。

よくある質問(FAQ)

Q. アニメーションを多用すると、かえって気が散りませんか?

累積提示は、飛んだり回転したりする装飾的なアニメーションとは別物です。この研究で効果が確認されたのは、説明に同期して要素を「追加していく」というシンプルな提示方法でした。演出のためのアニメーションではなく、視線を案内するための段階表示、と考えるのが適切です。

Q. eラーニングや研修動画にも当てはまりますか?

この研究の教材自体が、スライドとナレーションによるオンライン授業の録画でした。ナレーション付きのスライド型教材という点で、eラーニングや研修動画と非常に近い形式であり、応用しやすい知見だと考えられます。ただし後述のとおり、対象者や環境には研究上の限定があります。

Q. この研究結果は、どんな場面にも当てはまりますか?

論文自身が限界として挙げているとおり、参加者は単一大学の大学生40名で、実験室環境での検証です。異なる年齢層や実際の教室・職場でも同じ効果が得られるかは、今後の研究課題とされています。また、記憶の定着(保持テスト)で効果が確認された一方、応用力(転移)への効果は今回検証されていません。誇張せずに言えば、「有望な手法に、確かなエビデンスが一つ加わった」段階です。

まとめ:見せ方の設計は、学びの設計そのもの

同じ内容、同じ音声、同じ時間の授業でも、スライドの見せ方ひとつで学習成果は変わる、東京理科大学の研究は、そのことを視線のデータとともに示しました。情報を説明に同期して小出しにする「累積提示」は、特別な機材もソフトも必要とせず、今日から誰でも実践できます。

エレファンキューブは、こうした学習科学の知見を取り入れながら、eラーニング教材・研修動画・学校向け教育コンテンツの企画から制作までをワンストップでお手伝いしています。「いまある研修スライドを、もっと伝わる教材にしたい」「効果測定まで含めて教材を設計したい」といったご相談は、ぜひお気軽にお寄せください。

出典

最終更新日: 2026-07-17