記憶の定着と忘却に関する研究とは、わたしたちが何かを学んだあと、その内容をどれだけ覚えていられるのか、なぜ忘れてしまうのか、そしてどうすれば長く記憶に残せるのかを、実験によって明らかにしようとする学問領域です。
その入口として最もよく知られているのが「エビングハウスの忘却曲線」ですが、記憶の研究はそこから100年以上をかけて大きく広がってきました。この記事では、教材制作の現場に立つ立場から、忘却曲線の本当の意味と、そのあとに続く記憶研究の主要な成果を解説します。
目次
「エビングハウスの忘却曲線」とは
「エビングハウスの忘却曲線」は、ドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウスが1885年に発表した研究にもとづくものです。彼は「ランダムに並んだ意味のない音節(たとえば「ヌフ」「リャク」のような、覚える手がかりのない文字の並び)」をいくつも記憶し、時間が経ったあとにどうなるかを、自分自身を被験者にして根気強く調べました。
ここで多くの紹介でつまずきやすいのが、この曲線が何を測っているのか、という点です。忘却曲線はしばしば「覚えた知識の量が、時間とともにこれだけ減っていく」というグラフとして説明されます。しかし、エビングハウスが実際に測ったのは「節約率(savings)」と呼ばれる値でした。これは、一度覚えた内容をもう一度覚え直すときに、最初に覚えたときと比べてどれだけ手間(時間や繰り返し回数)が省けるか、を表す指標です。つまり忘却曲線は「記憶がどれだけ残っているか」を直接測ったというより、「覚え直すときにどれだけラクになるか」という形で記憶の残り方をとらえたものなのです。この違いを押さえておくと、後半で紹介する研究もより正確に理解できます。
では、この100年以上前の実験は、現代でも通用するのでしょうか。これを実際に検証したのが、アムステルダム大学のヤープ・マーレ(Jaap Murre)らが2015年に学術誌『PLOS ONE』で発表した再現研究です。1人の被験者が合計70時間かけてリストを学習し、20分後・1時間後・9時間後・1日後・2日後・31日後に覚え直すという、エビングハウスの手順を丁寧になぞった実験を行いました。その結果、得られたデータはエビングハウスのもとの結果とよく似ており、忘却曲線は再現できたと結論づけられています。(出典:Murre & Dros, 2015, PLOS ONE)
さらに興味深いことに、この再現研究では、曲線が一直線に下がり続けるのではなく、24時間後あたりで一度わずかに持ち直す動きが見られた、とも報告されています。学習してから一晩眠ったあとに記憶の残り方が改善する可能性を示すこの結果は、のちほど紹介する「睡眠と記憶」の話につながっていきます。
「いつ復習するか」で差がつく ― 分散学習(スペーシング効果)
忘却曲線は「人は時間とともに忘れる」という事実を示しましたが、では、どうすれば忘れにくくできるのでしょうか。その答えとして長年研究されてきたのが「分散学習」です。これは、同じ内容を一度にまとめて詰め込む(集中学習・いわゆる一夜漬け)よりも、間隔をあけて何回かに分けて学習したほうが、長く記憶に残りやすいという考え方です。この効果は「スペーシング効果(間隔効果)」とも呼ばれます。
この分野でよく参照されるのが、ニコラス・セペダ(Nicholas Cepeda)らが2006年に発表した大規模なメタ分析です。メタ分析とは、過去に行われたたくさんの研究結果をまとめて統計的に分析し、全体としてどんな傾向があるのかを明らかにする手法のことです。この研究では184本の論文・317の実験という膨大なデータを集めて分析し、間隔をあけて学習したほうが、まとめて学習するよりも記憶の成績がよくなる傾向を確認しています。(出典:Cepeda et al., 2006, Psychological Bulletin)
さらにこの研究からは、「どのくらいの間隔をあけるのが最適か」は、その知識をいつまで覚えていたいか(テストや実務で使うのがいつか)によって変わる、という示唆も得られています。長く覚えていたい内容ほど、復習の間隔も長めにとったほうがよい、というイメージです。一律に「翌日に復習」と決めるのではなく、目的までの期間に応じて間隔を設計する、という発想が大切になります。
「思い出す」こと自体が記憶を強くする ― テスト効果(検索練習)
学習というと、テキストを繰り返し読んで頭に入れる、というイメージを持つ方が多いかもしれません。しかし、記憶研究はこれとは別の、より強力な方法を指し示しています。それが「テスト効果(検索練習)」です。これは、内容を読み返すよりも、いったん教材を閉じて「何が書いてあったかを自分で思い出す」ほうが、長期的な記憶の定着につながるという現象です。
これを教育に近い題材で示したのが、ヘンリー・ローディガー(Henry Roediger)とジェフリー・カーピック(Jeffrey Karpicke)が2006年に発表した研究です。実験では、学生が文章を学習したあと、繰り返し読み返すグループと、テスト(思い出す練習)を受けるグループに分けられました。学習直後のテストでは、読み返したグループのほうが成績がよかったのですが、数日から1週間後の遅れたテストでは、思い出す練習をしたグループのほうが大きく上回ったのです。(出典:Roediger & Karpicke, 2006, Psychological Science)
ここには見落としやすい落とし穴があります。テキストを何度も読み返すと「わかったつもり」になりやすく、本人は理解できていると感じます。ところが、いざ思い出そうとすると出てこない、ということが起こります。読み返して得られる「スラスラ読める感覚」は、必ずしも「あとで思い出せること」を保証しないのです。だからこそ、学習のなかに「思い出す機会」を意図的に組み込むことが効いてきます。
「眠っている間」に記憶は整理・固定される ― 睡眠と記憶の固定化
記憶を残すうえで、学習の方法と同じくらい大切なのに見落とされがちなのが「睡眠」です。新しく覚えたことは、最初はまだ不安定で消えやすい状態にあります。これが時間をかけて安定した記憶へと変わっていく過程を「固定化(consolidation)」と呼びますが、この固定化を睡眠が助けていることが、数多くの研究で示されてきました。
この分野の代表的な総説(複数の研究をまとめて整理した論文)が、スザンネ・ディーケルマン(Susanne Diekelmann)とヤン・ボルン(Jan Born)が2010年に『Nature Reviews Neuroscience』に発表したものです。それによれば、睡眠は新しく覚えた情報の固定化を最適化する状態であり、深い眠りである徐波睡眠と、夢を見ることの多いレム睡眠とが、それぞれ異なる形で記憶の定着を支えていると整理されています。(出典:Diekelmann & Born, 2010, Nature Reviews Neuroscience)
先ほど紹介した2015年の忘却曲線の再現研究で、24時間後あたりに記憶の残り方が一度持ち直す動きが見られたこととあわせて考えると、「学んだあとにしっかり眠る」ことが記憶にとって大きな意味を持つことがわかります。睡眠を削って学習時間を増やすことは、一見すると努力に見えても、記憶の定着という観点ではかえって逆効果になりかねないのです。
「忘れる」のは脳の欠陥ではない ― 能動的忘却という考え方
ここまで「いかに忘れずに残すか」を中心に見てきましたが、記憶研究には、忘却そのものへの見方を大きく変える視点もあります。それが「能動的忘却」という考え方です。これは、忘れることは記憶力の衰えや脳の不具合といった単なるマイナスではなく、必要な情報を取り出しやすくするための積極的な働きでもある、という見方です。
たとえば「検索誘導性忘却」という現象が知られています。これは、ある記憶を思い出そうとすると、それと競合する関連した別の記憶のほうは、かえって思い出しにくくなる、というものです。似た名前の人をたくさん知っているとき、正しい名前を思い出すために、まぎらわしい別の名前を抑え込む、といった働きをイメージするとわかりやすいかもしれません。こうした忘却は、脳の前頭前皮質という、目的に沿った行動をコントロールする領域が関わっていると考えられており、近年では人間だけでなく動物の実験でも同様の仕組みが確認されつつあります。(出典:哺乳類における適応的忘却の仕組みに関する研究。Nature Communications, 2018)
「忘れる=悪いこと」という思い込みは根強いものですが、研究が示すのは、忘却もまた、わたしたちが必要な情報にたどり着くための、よくできた仕組みの一部だということです。すべてを等しく覚え続けることが、必ずしも望ましいわけではないのです。
【エレファンキューブの視点】これらの研究を教材設計にどう活かすか
ここからは、教材制作を生業とするわたしたちエレファンキューブの視点から、これらの研究をどう実務に活かしているかをお伝えします。記憶研究が教えてくれる最も大切な前提は、「人は忘れる」という当たり前の事実です。だからこそ、わたしたちは教材を「一度教えて終わり」のものとは考えず、「忘れることを前提に、思い出す機会をどう設計するか」という観点を重視しています。
具体的には、たとえば次のような工夫が考えられます。学習内容を1本の長い動画や資料に詰め込むのではなく、適切な間隔で復習が入るよう配信のタイミングを設計すること(分散学習)。各セクションの最後に、読み返すだけでなく「自分で思い出して答える」確認クイズやふりかえりを組み込むこと(テスト効果)。そして、学習者が無理なく睡眠や定着の時間を確保できるよう、詰め込み型ではない学習スケジュールを前提にすること。こうした設計は、どれも派手なものではありませんが、研究の裏付けがある、地に足のついた工夫です。教材は「情報を渡す」だけでなく、「記憶に残るまでの過程を設計する」ものだと、わたしたちは考えています。
まとめ
エビングハウスの忘却曲線は、記憶研究のいわば入口です。そこから先には、「いつ復習するか」を扱う分散学習、「思い出すこと自体が記憶を強くする」テスト効果、「眠っている間に記憶が固定される」睡眠の役割、そして「忘れることにも意味がある」能動的忘却という、豊かな研究の広がりがあります。これらに共通するのは、記憶を「ただ詰め込むもの」ではなく、「忘れる前提で、思い出す機会を設計するもの」としてとらえる視点です。学びを本当に身につく形にするには、教えて終わりにせず、定着までの道のりを丁寧に設計することが欠かせません。
よくある質問(FAQ)
エビングハウスの忘却曲線は「1日でほとんど忘れる」という意味ですか?
よく「1日で大半を忘れる」といった形で紹介されますが、正確には少し注意が必要です。忘却曲線が測っているのは「覚えている量」ではなく「もう一度覚え直すときにどれだけ手間が省けるか(節約率)」です。また、よく引用される具体的な数値(何時間後に何パーセント、といった値)は、覚える材料の種類や条件によっても変わります。細かな数値そのものよりも、「時間が経つほど思い出しにくくなり、最初の急な低下のあとはゆるやかになる」という全体の傾向をとらえることが大切です。
一夜漬けと分散学習では、どちらが効果的ですか?
長く覚えていたい場合は、間隔をあけて繰り返す分散学習のほうが効果的だとされています。多くの研究をまとめたメタ分析でも、間隔をあけた学習がまとめ学習を上回る傾向が確認されています。一夜漬けは直前のテストには役立つことがありますが、長期的な定着には向いていません。
ただ読み返すだけでは記憶に残りにくいのはなぜですか?
読み返すと「わかったつもり」になりやすい一方で、それが「あとで思い出せること」を保証するとはかぎらないためです。研究では、読み返すよりも、いったん教材を閉じて自分で思い出す「検索練習」のほうが、長期的な記憶の定着につながることが示されています。
睡眠時間を削って勉強するのは効果的ですか?
記憶の定着という観点では、おすすめできません。新しく覚えたことは睡眠中に整理・固定されることが、多くの研究で示されています。睡眠を削ると、せっかく学んだ内容が定着しにくくなる可能性があります。学んだあとにしっかり眠ることも、学習の一部だと考えるとよいでしょう。
忘れてしまうのは記憶力が悪いからですか?
必ずしもそうではありません。記憶研究では、忘却は脳の欠陥ではなく、必要な情報を取り出しやすくするための積極的な働き(能動的忘却)でもあると考えられています。すべてを等しく覚え続けることが、かえって不便な場合もあるのです。忘れることを前提に、思い出す機会を設計することのほうが現実的で効果的です。
記憶に残る教材づくりは、エレファンキューブへ
エレファンキューブは、eラーニング教材や研修動画をはじめとする教育コンテンツの企画・制作を手がけています。わたしたちは、この記事で紹介したような記憶研究の知見をふまえ、「教えて終わり」ではなく「学習者の記憶に定着するまで」を見すえた教材設計を大切にしています。分散学習を意識した配信設計、思い出す機会を組み込んだ確認の仕組みなど、研究の裏付けにもとづいた教材づくりにご関心をお持ちの方は、ぜひお気軽にお問い合わせください。

